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国立新美術館
国立新美術館
東京都港区六本木7-22-2


Wien 国立新美術館
ルーベンス、ヤン・ブリューゲル、ベラスケスなど75点で解き明かす静物画の世界

会期: 2008 7/2(水)〜9/15(月・祝) 展覧会は終了しました。
休館日:毎週火曜日
開館時間:10:00〜18:00、毎週金曜日10:00〜20:00(入場は閉館の30分前まで)
会場:国立新美術館 企画展示室1E

〜特別出品・日本初公開 ベラスケス 《薔薇色の衣裳のマルガリータ王女》〜

画像をクリックすると大きな画像でご覧いただけます。
ディエゴ・ベラスケス《薔薇色の衣裳のマルガリータ王女》
ディエゴ・ベラスケス (1599年、セビリャ-1660年、マドリード)
《薔薇色の衣裳のマルガリータ王女》 1653-54年頃 油彩・キャンバス
© Kunsthistorisches Museum Wien, Gemäldegalerie, Vienna
ディエゴ・ロドリゲス・シルバ・イ・ベラスケス(1599-1660) 17世紀スペインバロック期に最も活躍した宮廷画家。
1599年にセビリャで生まれ、1610年より画家フランシスコ・バチェコの工房で修行を積み、1617年には彼の娘フアナと結婚した。
彼の初期の作品には宗教画、肖像画、さらには「カラヴァッジョ様式」の影響を受けた風俗画などがある。
1623年にはマドリードでスペイン王国フェリベ四世の宮廷画家に任命されたのだが、そこでの主な仕事はなによりも歴史画や肖像画を描くことであった。

〜静物画の秘密〜
第1章 :市場・台所・虚栄の静物
〜自然の恵みは、山野から、牧場から、畑から、川や海からもたらされます。この情景を描きとどめようとするところから風俗の描写が生じました。そこには当然、人々の行いと事物の存在が示されます。〜
第2章 :狩猟・果実・豪華な品々・花の静物
〜絵画の歴史としては先行していた風俗描写のなかから、自然からの悦ばしき収穫物や、人の作り出した美しい器物は、次第に独立して「静物画」のジャンルを生み出すことになってきました。様々な狩猟の獲物や見事な狩猟道具は、貴族達の恵まれた生活を誇示するものでした。食卓に置かれた果物の瑞々しさ、豊かさ、命の輝。花瓶に挿された花々の可憐さ、華やかさ。これらはむしろ、誇示された豪華さを超越して純粋な美的世界に昇華したものでもありました。〜
第3章 :宗教・季節・自然と静物
〜四季の表現としての「四季図」や、暦として一年の12ケ月をそれぞれに表現する「月暦図」においては、春夏秋冬の季節の花や植物、あるいは動物を描くことが最も端的な時節の表現となっていました。たとえば5月の薔薇、6月の小麦、9月の葡萄、12月の狩猟の獲物などです。〜
第4章 :風俗・肖像と静物
〜風俗描写の中心となるのは、人の行いであることは当然のことですが、その行為より明確に、あるいはより深く、性格づけるためには人物の仕草や表情の表現に加えて、彼らの衣裳や彼等の使っている道具などが重要な役割を演じます。古く神話の時代以来、神々の力や人間の性格を表現するために、花や植物、動物、あるいは人の工作物である道具などが有効に活用されてきました。〜
同展は、4つのセクションで構成されています。その中から2作品を紹介します。

フレデリク・ファン・ファルケンボルフ一世の工房《花市場:春》
フレデリク・ファン・ファルケンボルフ一世の工房
(1566年、アントウェルペン-1623年、ニュルンベルク)
《花市場:春》
1610年頃
油彩・キャンバス 120.0x210.0cm
© Kunsthistorisches Museum Wien, Gemäldegalerie, Vienna

フレデリクは多くの分家を持つフランドルの画家一族ファルケンボルフの一人で、マールテンの息子、リューカスの甥である。この一族はプロテスタント信仰上の理由から、再カトリック化したアントウエルペンを逃れ自由帝国都市フランクフルト・アム・マインに移住した。弟ヒリス(1570-1622)とともに、フレデリックはイタリア旅行をしている。そのうち、マントヴァとローマに滞在したことは確認されている。1597年にフランクフルト市民になるが、1602年にはニュルンベルクに移り、1623年にそのこの地で没した。この二人の兄弟の専門は神話や物語をもとにして劇的な風景画、殺戮の場面、群像を描いた絵画を描くことであった。

ヤン・ステーン《逆さまの世界》
ヤン・ステーン (1626年-1679年、ライデン)
《逆さまの世界》
1663年
油彩・キャンバス 105x145cm
© Kunsthistorisches Museum Wien, Gemäldegalerie, Vienna

オランダの風俗画家ヤン・ステーンはライデン大学での学業を中断し、ハールレムのアドリアーンとイサクのファン・オスターデ兄弟のもとで画業の修行を積んだ。静物画、肖像画、歴史画、宗教画さまざまなジャンルの作品を制作したが、特に有名なのが農民をテーマとした風俗画で、酔っ払った人々の乱痴気騒ぎ、結婚式、ピクニックなどをユーモラスに描いている。


芸術の都ウィーンが世界に誇る、ウィーン美術史美術館
ウィーン美術史美術館 (外観)
ウィーン美術史美術館 (外観)
© Kunsthistorisches Museum Wien, Gemäldegalerie, Vienna
ウィーン美術史美術館 (内観)
ウィーン美術史美術館 (内観)
© Kunsthistorisches Museum Wien, Gemäldegalerie, Vienna

オーストリアの首都、ウィーン、この街は、ヨーロッパだけでなく、世界各地に広大な領土を誇ったハプスブルク家の都として栄えてきました。街の中心に沿って立ち並ぶ壮麗な建物が、600年以上にわたって君臨したハプスブルク家の栄華を今に伝えています。
宮殿のようなこの美術館は、1871年、ハプスブルク家の皇帝の命を受けて建設が始まりました。贅の限りを尽くした建物は、完成までに20年の歳月が費やされています。ここには、歴代の皇帝たちが財力と威信をかけて蒐集した美術品が納められています。絵画だけでも7000点に上るコレクションは、「美術史美術館」の名のとおり、西洋美術史上に輝く傑作の数々を擁しています。この未曾有のコレクションは、帝国の繁栄を原動力として生み出されました。十三世紀、神聖ローマ帝国皇帝の地位を手に入れて以来、ハプスブルク家は、キリスト教世界の支配者として、さらに、巧みな政略結婚によって勢力を拡大し、1500年頃には、その領土を南米やアジアにまでひろげて、「太陽の沈むことなき帝国」と呼ばれました。
美術館が所蔵する、宝石がちりばめられた絢爛豪華な冠は、皇帝の正式な王冠として伝わるものです。側面には、ローマ教皇から冠を授けられる皇帝の姿、この王冠をつくらせたルドルフ二世(1552-1612)の姿が表わされています。十六世紀末から十七世紀初頭に活躍したルドルフ二世は、芸術や学問への造詣が深いことで知られており、歴代皇帝のなかでも、最も貧欲なコレクターでした。その蒐集品は独特の魅力にあふれています。晩年のルドルフ二世は鬱病が重くなり、権力の座を追われて、1612年、失意のうちに亡くなりました。その統治の時代から300年たった十九世紀の末に、ウィーン美術史美術館は建てられます。時の皇帝、フランツ・ヨーゼフ一世は、帝国の栄光を確認するかのように、ハプスブルク歴代皇帝のコレクションを詰め込みました。しかし、それから間もない二十世紀初頭、ハプスブルク帝国は滅亡します。

ハプスブルク家
現在のスイス領内に発祥したドイツ系の貴族・王族・皇族。カエサル一門の出身と名乗り、政略結婚による大規模な領土拡大に成功した。中世から二十世紀初頭まで、オーストリア大公国、神聖ローマ帝国、スペイン王国、ナポリ王国、トスカーナ大公国、ベーメン(ボヘミア)王国、ハンガリー王国、オーストリア帝国(のちにオーストリア・ハンガリー二重帝国)などの大公・国王・皇帝を代々輩出した。ヨーロッパ一の名門王家と言われる。ルドルフ一世以来オーストリアを本拠としたことから、スペイン系を含めて「オーストリア家」とも呼ばれる。

関連イベント情報・講演会
・「静物画の深い魅力『静止する時間・回帰する時間』」
講師:木村俊介氏(展覧会監修・共立女子大学教授)
日時:2008 7月19日(土)14:00〜16:00
・「知られざる静物画の魅力」
講師:宮下規久朗氏(神戸大学大学院准教授)
日時:2008 8月16日(土) 14:00〜16:00 *8月16日は高校生無料観覧日
会場:国立新美術館3F講堂・各日先着250人 ※聴講無料。

お問合せ:ハローダイヤル 03-5777-8600
展覧会公式サイト:http://wien2008.jp/
主催:国立新美術館、東京新聞
後援:オーストリア大使館
協賛:日本写真印刷
協力:オーストリア航空/Lufthansa Cargo AG
参考資料:Press Release、『静物画の秘密展』図録、『世界美術館紀行』他。
ご意見ご感想は  yashio@mui.biglobe.ne.jp

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